秋田ライオンズクラブとは

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 秋田ライオンズクラブは1960年(昭和35年)10月15日、青森ライオンズのスポンサーによって誕生しました。全国で210番目、東北地方では11番目、本県では始めてのクラブになりました。
 当時のE地区第2リジョンの中川善之助Lと青森ライオンズの佐々木将城Lのプロモートにより、小山田秀雄、宇佐美重長、豊田訓祥の3氏が世話人となって奔走、県内第1号のライオンズクラブ誕生に漕ぎつけました。
 その年の10月15日、初代会長に当時県知事の小畑勇二郎氏、幹事に豊田訓祥氏、会計に青山忍氏が就任。県産業会館で結成式が行われ、当クラブの正式なスタートになりました。
 翌36年6月8日には国際協会本部から認承状を授与されるチャーターナイトが、参加ブラザークラブ30、ライオン208名によって行われました。この時、横浜ライオンズクラブからチャーターナイトを祝福して盲人杖20本が寄付されたので、これを秋田盲学校に贈りました。これが当クラブとして初のアクティビティであります。

われわれは知性を高め
友愛と相互理解の精神を養い
平和と自由を守り
社会奉仕に精進する

ライオンズクラブの組織拡大という点では、結成以来 当クラブのスポンサーによって能代、秋田中央、六郷、本荘、雄物川、十文字、増田町、琴丘の8クラブの誕生に貢献しています。

ジョニー・バルボ国際会長来秋(1975年6月5日)。

 過去の歴史を振り返って忘れられないことに昭和50年のジョニー・バルボ国際会長の公式訪問が挙げられます。全国で選ばれた僅か2箇所の訪問先に当クラブが選ばれました。
 当時、ガバナーの中村豪L(秋田ライオンズクラブ)を中心に熱烈な歓迎をして、同会長も大変感激されました。

 写真は、1.旧秋田空港での盛大な歓迎。
     2.小畑知事(背中)を表敬訪問したバルボ会長。
     3.竿灯に興味深げなバルボ会長。

◇常陸太田ライオンズクラブとの姉妹提携。
◇延岡向洋ライオンズクラブとの友好交流。

 秋田県と茨城県とは藩政時代から深いつながりもあり、秋田ライオンズクラブは、常陸太田ライオンズクラブとお互いに友好を深めようとしていたが、昭和49年の茨城国体以来急速にその気運が高まり、昭和50年(1975年)6月26日両クラブは姉妹提携の協定書に調印することとなりました。その後も交流を続けています。
 また、平成7年の春、石川理紀之助翁や若山牧水を通じて昔から縁のあった秋田・宮崎両県のライオンズクラブの交流話が秋田ライオンズクラブ内で発案され、数度の折衝を重ねた結果、当クラブと宮崎県延岡市の延岡向洋ライオンズクラブとの間で友好交流の協定を取り交わすこととなり、9月14日、秋田から豊田会長Lと柴田Lが宮崎に飛んだのでした。
 これを記念し、秋田ライオンズクラブは牧水がかつて各地放浪の途次、大正5年4月21日(1916年)秋田市の千秋公園で詠んだ和歌一首を石に刻み、千秋公園、佐竹資料館前に記念の歌碑として建立したのでした。
 また、その年10月の秋田ライオンズクラブ35周年記念式典には、延岡向洋ライオンズクラブより、佐藤会長Lほか5名、LL2名、若山牧水ご子息・旅人氏(当時82歳)、及び若山牧水顕彰会事務局長で東郷町教育長・渡邊邦彦氏が来秋、初の交歓会が開かれました。これまた現在まで交流は続けております。










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